企画の第8回目は、関根理央インストラクター(25)です。
【写真:関根インストラクター】
―ゴルフとの出会い―
1999年東京都生まれ。ゴルフとの出会いは10歳のころ。
当時、石川遼プロによる「遼君ブーム」の真っただ中で、父親がいきなり(ジュニア用の)ゴルフクラブを自宅に買って帰り、一緒に打ち放し練習場に連れて行かれたのがきっかけだったといいます。
関根さんは「(ゴルフが)全くおもしろくなく、興味もわかなかった」と当時のことを振り返り、それでも父親はゴルフ部のある大学に行かせたかったようで、中学は同じくゴルフ部のある杉並学院中学に進学しました。
―中学から大学までゴルフ部で活躍—
中学時代、部活動以外は個人の練習が主で、自宅からタクシーを使って都内の大型ゴルフ練習場に通い、レッスンも週1回は習っていました。
その甲斐あってか、小学6年生のころは110回前後だったスコアは、中学に入るとベストスコアを80台に乗せ、中3時にはジュニアながら一般トップアマが混じった大会で7位に入るなど躍進をみせます。
出会ったころは「全く面白くなかった」ゴルフも、このころになると徐々に熱が入ってきました。
チームメイトに小学校大会で全国クラスの子がいて、「その子たちに少しでも追いつきたかった」と負けず嫌いの性格がゴルフをどんどん上達へ導いてくれました。
高校はそのまま杉並学院へ進学し、晴れて石川遼プロの後輩になったものの、学業とゴルフの両立を図るために、2年次から通信制の代々木高校へ編入したといいいます。
そのころはすでにジュニア界でも頭角をあらわし、高1で世界ジュニアの日本代表選抜大会関東予選、15歳~17歳女子の部で1位通過を果たしました。
同年の13歳~14歳の女子の部でのトップ通過が、現プロで米ツアーでも活躍する西郷真央さんでした。
大学はゴルフに力を入れていた東京国際大学に進学。1年次に日本女子学生ゴルフ選手権の本選に進み、2日目にカットとなるものの、学生ゴルフ界にその名前を刻む格好となりました。
このころ日本はコロナ禍に突入。「1年間試合がなかった」ものの、「1年次にリーグ戦のBブロックからAブロックへ昇格し、4年間Aブロックを守りました」と輝かしいゴルフ部生活を送っていたといいます。
―大学卒業後はプロを目指すも…。ザ・プレミアムバックステージの出会い―
大学卒業後は関東の名門ゴルフ場で研修生としてプロを目指す日々を送っていましたが、この3年間は連続して最終プロテストまで進めず、悔しさをにじませます。
ザ・プレミアムバックステージとの出会いは1回目のプロテスト挑戦が終わったときに友人の紹介でアルバイトとしてインストラクターに採用されました。
来年以降の目標を聞いてみると「プロテストは来年で最後にしたいと思う」とラストチャンスに賭ける覚悟です。
また、もう1つの人生志標として母親が婦人服専門のデザイナーをしている関係から「ゴルフウエアのオリジナルブランドを立ち上げたい」と意気込みを見せます。
「プロテストに受かったら、自分のデザインしたブランドでプレーしたいですね」と前を向きます。ザ・プレミアムバックステージスタッフ一同、来年の関根さんのプロテスト挑戦を見守りたいと思います。
―最後に―
関根さんが所属するザ・プレミアムバックステージでは様々な経歴をもつスタッフが多く在籍しています。
関根さんのようなインストラクターだけでなくシャフトメーカーのUST Mamiya公認のクラブフィッターも多く所属していますので自身のゴルフライフを向上するために、体験レッスン、クラブフィッティングを通じてご入会を心よりお待ちしています。
そして我々とゴルフの話をたくさんしましょう。
(※年齢などは取材当時のもの)